こんにちは🍁
少し前に、「オーボエの名曲」という内容で、サン=サーンスのオーボエソナタについて書きました。
今回は、またオーボエの名曲シリーズで、
生徒さんとのアンサンブルでよく取り上げる、ベートーヴェンのオーボエトリオについて書いて…みたかったのですが、
「ベートーヴェン」という人について書いているうちに、結構な量になっていることに気が付いたので…
二部作としてまずベートーヴェンについて、ここにまとめてみることにしました。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven (1770 – 1827)

ベートーヴェン、という名前は、
普段クラシック音楽に馴染みがなくても聞いたことがあるくらい、日本でもかなり知られた音楽家ですよね。
彼の名曲と言えば…
ダダダダーン!でお馴染みの交響曲第5番「運命」 (1808)、
ミレミレミシレドラーでピアノを弾く子どもたちの定番曲「エリーゼのために(Für Elise)」 (1810)、
日本の年末にあちこちで流れている「交響曲第9番 合唱付き」 (1824)、
他にも、名前はパッと出なくても聞くと「あ!これか!」とすぐわかる曲、のだめで有名になった交響曲7番 (1812) やヴァイオリンソナタ「春」 (1801)など…もうあげたらキリがありません。。
亡くなった今もなおこれほど「よく聞く」曲が残っているなんて…。
本人もびっくりだと思いますが、自分が作り上げたものがここまで残り、語り継がれていることがどれだけ凄い事か、音楽史に馴染みがない方でも想像がつくでしょう💭
では、音楽史的に彼がどう凄かったのか。
大きく2つ、挙げてみます。
【➀古典派で確立してきた音楽形式を更に発展させた】
まず、前知識として、西洋音楽の歴史においての”古典派”とは何か。
古典派とは、英語やドイツ語だと「クラシカルな音楽」と言ったりします。
神への祈りの目的だった中世(9世紀ごろ)、宗教的なことが色濃くありながらも人が楽しむもの(=世俗音楽)が出来始めたルネサンス時代(15世紀以降)やバロック時代(17〜18世紀)を経て、
宮廷との繋がりが強く、そこの人が楽しむことが増えたのが古典派(18〜19世紀)です。その後、市民も楽しむことができる今の公開演奏会の形が始まったのが、ベートーヴェンの時代です。
芸術としての音楽の発展に注目すると、
オーストリアのウィーンで活躍した3大音楽家によって、既存の音楽の形式や編成に磨きがかかり、音楽史上の基盤になる音楽(=クラシック音楽)が出来上がりました。
まずハイドンが「ソナタ形式」や「交響曲」を確立していき、
その弟子となるモーツァルトは、幼いころから”神童”と呼ばれ、特に「オペラ」の発展に貢献しましたが、早くに亡くなります。
そして同じくハイドンの弟子だったベートーヴェンは、その後に続くロマン派の時代の架け橋になるような、「古典派の音楽・発展形」を作っていきました。


彼の音楽がどう凄かったのか、
分かりやすいので、ベートーヴェンの“交響曲”について、少しお話します。
まず、ハイドンが確立していった交響曲とは、弦楽五部(Vn1, 2, Va, Vc, Cb)に管楽器はオーボエ、ホルン、ファゴットが初期メンバー。形式は全4楽章形式で成り立ち、それぞれに役割があります。
第一楽章:序曲→ソナタ形式(A(bc)DA'(bc)E)
第二楽章:三部形式(ABA)
第三楽章:メヌエットなど宮廷の舞曲
第四楽章:ロンド形式(ABACA)
ベートーヴェンが交響曲第一番を完成させるのが1800年、
その2年後の1802年に二番を完成させますが、第三楽章でメヌエットではなく「スケルツォ(明るくおどけた曲調が特徴)」を用いて、形式が大切だった古典派の音楽を第二番で既に崩し始めました。
その後も、例えば交響曲第五番”運命”ではピッコロやトロンボーンを始めて交響曲の中に取り入れてみたり、
そのカップリング曲として当時演奏された交響曲第六番は全五楽章で書き上げている他、自身で「田園 (Pastorale)」と明記し音楽で森や自然の風景を感じられるような表現がたくさんされています(=ロマン派の時代にみられる標題音楽の先駆け)。
そして、名曲交響曲第九番の”合唱付き”は、終楽章の後半で
O Freunde, nicht diese Töne! ーおお友よ、この音ではない!
sondern lasst uns angenehmere anstimmen und freudenvollere. ーそうではなくて、心地の良い、喜びに満ちたものを歌おう。
とベートーヴェン自らの作詞から始まるバリトン独唱から始まり、シラー作詩「歓喜の歌」を歌うもう3人の独唱、合唱が加わり、曲を締めくくります。
後にも先にもこんな傑作は存在せず、その後の音楽家たちはこの”ベートーヴェンの第九”を乗り越えられない、なんてジンクスがあるほど、後世の音楽家たちへ影響した音楽家となりました。(実際に以降の音楽家たちのほとんどは、交響曲を9曲以上書いていません。)
交響曲を例に挙げましたが、
他の形式(協奏曲や室内楽、独奏曲など)の音楽においても、ハイドンやモーツァルトと比べるとベートーヴェンの独自のカラーを感じます。
彼の独創的なアイディアは、古典派の音楽でありながらも、後のロマン派の時代で更に音楽が自由に個性豊かに広がっていく先駆けだったように思います。
【②難聴と共に、音楽家としての生涯を過ごした】
音楽を続ける身として、考え難い事でしょう。
ですが彼は、前述した交響曲を書く前の1796年頃から難聴に悩んでいました。
聞こえにくいだけでなく耳鳴りもひどかったようで、悩んだ彼はオーストリア・ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで遺書を書きます。
書いた当時32歳。今の私も同じような年齢ですが、これまでの自分の人生をかけて積み重ねて頑張ってきたことができなくなる悔しさ、悲しさ、不安さ…
消えたい気持ちになるのは、当然のように理解ができます。

こんな音楽家として危機的な状況を、自身の「運命だ」と向き合い、その後の残り半分の人生を“耳が聞こえない自分が音楽家として生きていく”ために、
聞こえなくなっても無くならない音楽家としての経験値、芸術的な感覚、学んだ知識を信じて、作曲を続けます。
もちろん、当時の大型の補聴器を用いたり、ピアノの弦の振動を感覚的・視覚的に感じたり、彼自身の方法で音楽を見つめたりもしました。
そんな中で、この記事の最初に戻って「彼の名曲と言えば…」という部分を振り返っていただきたいのですが(太字にしています)、
ほとんどの名曲が、難聴の中書かれています。
そんな中でこんな大作曲家になったベートーヴェン…。唯一無二の大音楽家と言えるでしょう。


…と、ベートーヴェンのことを学んでいた頃のノートを振り返りながら、記事を書かせていただきました。
本当は「オーボエトリオ」について書きたかったのに…!と思いつつ、
ベートーヴェンという音楽家については、多くの人に名前だけでなく少し深く知ってほしいという思いで、長々と書いてしまいました。
世の中にはもっとたくさん詳細が書かれたサイトはたくさんありますが、私的に「すごい!」と思うポイントにまとめたつもり…なので、どなたかの参考になりますように。
次の記事で、そんな大音楽家が残してくれたオーボエの名曲「オーボエトリオOp.87」について触れてみます。
こちらも皆さんに知ってほしい名曲です✨
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